自担が入所して10年が経ちました

※完全自己満です

 

まずはじめに

 

髙地優吾くん

入所10周年おめでとう!!

 

2009年5月24日放送のスクール革命でオーディション結果が発表されてから10年。

長いようで短い10年。いや、長かったね。

ほんっっっとうに色んな事があったなぁとしみじみ思います。

髙地くんの活動や考え方の変化に、私自身もかなり影響されてきたので、この節目を理由に少し整理してみようと思います。何も確認せずに記憶で書くので時系列違ったらごめんなさい。都合いいんです私の頭。

 

 

そもそも何故、髙地くんを好きになったのか。

遡れば11年前、1本のドラマがきっかけでした。

スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』ってご存知ですか?同世代から少し上くらいの方々はドンピシャだと思うんですけど、今の小学生って知らないんですね、、ちょっとショック(笑)

このドラマを他界隈の方目当てで見ていたわけですが(仲良い子は一発で分かる)、そこで後のB.I.Shadowの3人を見つけます。高畑岬中島健人菊池風磨。生まれて初めてジャニーズJr.に関心を持った瞬間でした。当時11歳の私。

この時は携帯もパソコンも持っていない子供だったので、DSiWi-fiに繋げて検索をかけて(必死w)少クラの存在を知る事で精一杯でした。

「◯◯くんが1番好き」的な感情になる事も無かったため、キラキラしているお兄ちゃん達をただただ見つめる毎日。

でもやっぱり担当がいないって、飽きちゃうんです。年が明けて北斗が入所してるんですけど、正直本当に覚えてなくて(笑)元々3人の美愛ってそんなに長くなかったから、4人になったのも記憶にあるような無いような。

また、程なくして髙地くんが入所します。

その頃はまだスク革を見ていなかったので(放送地域だったのかすら知らない)、オーディションは情報番組で知ったんですけど、子犬みたいな黒目の子だなぁってのが第一印象。

次に見たのも朝の情報番組でした。

2009年6月4日。中山優馬w/B.I.Shadowの発表。そこには岬くんじゃなくて、髙地くんの姿がありました。

「???」と疑問に思ったものの、そもそもふまけんだけの時もあったし、期間限定だし、ジャニーズJr.ってそういうものなんだろうとスルーしていました。でも当時を振り返って、あの頃の美愛担の気持ちを考えると胸が痛みます。辛すぎる。

そんなヲタクは置いてけぼりのまま、初めてのMステ。

初めてしっかりと髙地くんのパフォーマンスを見た時、度肝を抜かれました。

こんなにも挙動不審なアイドルがいるのかと(笑)

振りを覚えていないのか周りのメンバーを見ながら踊り、マイクもフラフラで口の動きも果たしてそれは歌詞なのかレベル。

もちろんバッシングの嵐でした。

ただでさえ入所したてで、岬くんの場所を奪ったような立場にも関わらずこのグダグダ感。

 

でも心配で、なんだか目が離せませんでした。

 

それからは他の歌番組に出たり、バレーボールの中継、少クラでも毎週メインで歌っていました。

最初こそ不安そうな顔でオドオドしていましたが、段々と、上手く踊れず悔しそうな半ギレ顔で曲を締めくくることが増えていきました。プロとしてはどうかと思うけど、まぁ成長と捉えて頂きたい(笑)

 

そんなある日の少クラ。

曲は『ララリラ』だったと思います。

きっと髙地くんの中で初めて納得のいくパフォーマンスが出来たのかな。曲終わりに迷わずくしゃくしゃの顔でよっしゃー!って。

思わず泣きそうになりました。

 

もうこの時には髙地担になっていたと思います。当時の私、12歳の小学6年生。

 

初めての担当。1人を画面の端で見きれるまで追い続けるのが楽しいなんて想像もしてなかった。

とは言うものの、相変わらず田舎の子供なわけで、頑張って少ないお小遣いを貯めてCDや雑誌、写真をちまちまと買い、録り溜めた録画を見るだけ。気づいたらNYCが3人になってたりもしましたが、美愛の4人が好きだったので、4人の事を見るだけで毎日が幸せでした。

Jr.の中では圧倒的に推されてたし、ジュニアコロシアムにもたくさん出てたなぁ。

中学校に進学した私は、ぼっちでは物足りなくなり周りへの布教を始めます。結局1人しか釣れませんでしたが、見事に健人担へ。

なんだかんだ部活の友達も一緒に少クラを見てくれたり、アメブロTwitterもやっていたのでネッ友も増えて充実した日々。

 

でも壊れる時って一瞬なんですね。

 

2011年9月29日。

Sexy Zoneのデビューが発表された日。

今でこそ5人の事は好きだし応援もしてるけど、本当に心から大っ嫌いなグループでした。今後どれだけの事を成し遂げようが、このように仕向けた事務所の事は絶対一生許せない。

幸か不幸か、怪我とタイミングが重なりセクゾの売り出し期間は髙地くんは少クラをお休みしていました。

私は髙地くんの初登場からずっと少クラをディスクに残しているんですけど、唯一この期間だけありません。見てもいません。人生最大の病み期。爆発的に遅刻が増えて学校もサボったり、塾も辞めました。義務教育で良かった。

 

スク革も流し見程度で抜け殻みたいな私の元に、少年収のレポが流れてきます。

髙地くんの復活です。

数ヶ月ぶりに少クラを録画して、ワクワクした気持ちになりました。扱いで言うとかなり後ろの端に下げられていましたが、何よりも踊っている髙地くんを見る事に意味があったんです。

 

でも辛いのはここから。

退所してもおかしくない状況から復活を果たした髙地くんに、ご褒美のようなドラマのお仕事が舞い込みます。

私立バカレア高校

ジャニーズお得意の学園ヤンキーもの。メンバーもいわば「推され」ばかりで強いて言うならなんでジェシーなんだろうってくらい(ごめん)。今でこそ圧倒的センターですが、当時は6人の中で1番注目を浴びる事が少なかったかと思います。まぁユニット入ってるだけでも推されてはいるのか…偏見とか言わないでね。

確かにドラマは死ぬほど嬉しかった。しかも北斗も一緒。でも他メンには一緒にやってきた仲間もいて、ドラマによって「バカレア組」と呼ばれ一気に人気が出た背景には「選ばれなかった」子達もいました。セクゾデビューからバカレアの放映により解体されていくユニットや括り。そりゃ尖っちゃいますよね。

髙地くんの事は好きなのにバカレア組の事はなかなか好きになれず、でもその括りは強くなっていって、あの頃は本当にこのままデビューしちゃうんじゃないかと思っていました。

せめてバカレア組に名前が付いてしまう前に、単体の髙地優吾に会いに行かなくちゃ、と当時中学3年生の私。遠征するお金も親の理解もなく、不満が爆発して、高校進学せずに就職して髙地くんに会いに行くと言い出し親と大喧嘩。結果大学には行かない事を条件に、就職に強く勉強しなくてもいい(語弊)専門系の高校を志望します。人生動かされてるなぁ。

しかし高校に入学する年、ある変化が訪れます。

バカレア組の解体。北ジェ期。この10年で1番つまらない時期だった。ごめんなさい。でもこれが正直な気持ちです。

ただ2人だけでの括りはあまり長くは続かず、他のJr.に混ざりつつ推されてる状況になったので、楽しい楽しい無所時代が始まります。このままずっと続けばいいのにと思う反面、いつになったら抜けられるんだろうと考える矛盾。

やっぱりユニットかな、と思い他のみんなに続いてバカレア組復活希望の声をあげていきました。

そしてついに、6人での復活を果たします。解体から約2年後のことでした。

少クラの放送を見たときは鳥肌が立ちました。

そういえば週刊誌出るまで少年収レポで読み方論争とか起こってたの面白かった。

しかし、飛び上がる程嬉しい出来事のはずが、私自身全く納得がいきませんでした。過去の度重なる解体からくる不安や、本人達の中にあまり6人の事を好いていないように感じ取れる雰囲気のメンバーがいた事が理由だと思います。

ここから私はアンリーに成り下がります。髙地くんがデビューできればメンバーは誰でもいい。邪魔する奴は脱退しろ精神(最低)。

少年たちで初のオリジナル曲が出来た時はさすがに嬉しかったけど、カバー曲を聴く機会が減ったのが少し寂しかった。

 結成の翌年に地元企業に就職した私は見事社畜に生まれ変わり(?)日帰り遠征する生活。なんで関東就職しなかったのかは自分のことながら未だに謎です。結構キツかったけど、現場に行って各地から集まったお友達と騒いでるのが楽しくて、なんとか頑張れました。

でもやっぱり6人としては応援出来なくて、メンバーに個人の仕事が入るとめちゃくちゃ悔しかった。

 


そんな気持ちを変えてくれたのが『東西SHOW合戦』でした。

今更蒸し返す必要はないから省略するけど色々あったじゃないですか。会場に入ってもいない人達に憶測で叩かれたり、誰かが降ろされるんじゃないかって心配になるような話が世に出たり。心が色んな事に引っ張られて。

でも、純粋に楽しかったんです。そして舞台に立つ彼らが観客よりも誰よりも楽しそうにしてた。

極めつけは「Amazing!!!!!!

あぁ、腹括ったんだなって。もうこんなのついていくしかないじゃんって。

絶対にこの6人でデビューさせてあげたいと思うようになりました。

そこからは今までの何十倍も楽しくて幸せで、運良くこの年って現場が途切れなかったし、お金は無くなったけど、代わりにたくさんの思い出ができました。

 


この後の方が濃い時間で、話し始めるとキリがないので割愛。(飽きた)

 

 

 

つらつらと思い出に浸ってみたけど、思い返してみてもやっぱり髙地くんに出会って人生が変わりました。大袈裟とかじゃなくて本当に。

もしあの時見つけていなかったら、今頃何してたかなんて想像もつきません。

もはや髙地担という肩書きが私の一部になっているので、この先降りる日が訪れるかもしれない事を考えると、自分に何も無くなっちゃう気がして怖くて堪らない。

それくらい誰かにとって必要な存在だって事をそろそろ自覚してほしい。

 

「あの時俺がもうちょっと頑張ってたら違う未来になってたんじゃないか」って。確かにそうかもしれない。でも絶対に間違ってはない。今のお仕事や応援してる人たちは、紛れも無い髙地くんの努力の賜物だよ。
髙地くんは「俺はいなくてもいいのかな」って言ってたけれど、髙地くんがいなかったらSixTONESを知ろうとも思わなかった。

大学を卒業する時、辞めちゃうんじゃないかって心配にもなったけど、周りの友達とは逆に髪を明るくする事が俺の就職活動だって、この道で進んでいくって色々な雑誌で言ってくれてすごく安心した。嬉しかった。

何気ないひとつひとつの言葉をしっかりと口に出してくれる貴方の性格が、時々裏目にも出ちゃうけど、たまらなく大好きです。

 


きっと最初で最後の担当。こんなに好きになれる人にはもう出会えない。

これから先何年経っても、そのキラキラ輝く背中を追わせてください。

 


10年間、その場所に立ち続けてくれてありがとう。

 


髙地くんが私の青春です。